インテル・ミラノで活躍をしている長友佑都。
今や日本を代表するサッカー選手に育った長友ですが
そんな彼の活躍の裏には母親の影があるようです。
貧しい生活で頑張る母を見て、活躍を決意した長友佑都
長友佑都は母子家庭で育っています。
彼の母は彼が9歳の時に離婚しました。
子供3人を育てるため一生懸命働き、
冠婚葬祭の司会業などの仕事で家庭を支えました。
苦しい生活が続く中でも母親はいつでも笑みを絶やさず、子供と接することを心がけていたそうです。
そして長友佑都本人も含め子供3人を進学させるため、自らに3,000万円の生命保険をかけたりもしていました。
もちろん親戚は反対していたそうですが、
子供のためになるならとお金のことは子供に心配はかけたくない思いがあったため押し切ったそうです。
そんな母親を見ながら長友佑都は将来楽にさせてあげたいという気持ちが芽生えていったようです。
長友のサッカー人生の岐路を支えた
長友佑都の母親は彼が反抗期の時も、子供と同じ目線で付き合うことが教育方針でした。
また長友佑都が高校を選ぶ時、愛媛県から福岡県の高校サッカーの名門である東福岡に進学したいことを口に出せずにいた時も
息子の心を察し背中をそっと押してくれました。
それにより高校生の頃から一人で福岡で学校生活を送ることになりました。
その後、明治大学へと進学した後FC東京へ行き、更にそこから海外へと移籍をしていきました。
そのきっかけとなる東福岡への進学を支えた母親こそが
長友佑都のサッカー人生を支えた人物と言えるでしょう。
活躍をし出してから長友佑都はエッセイで
「母さんが、一生懸命働き、僕達を育ててくれた姿は僕の宝物であり、これから僕が目指すべき姿です」
とつづっています。
母子家庭で育ったからこそ母親を大切にしている姿がみてとれます。