巨人で若いうちからレギュラーとして活躍をしている坂本勇人。
小学校の頃にはあの田中将大選手と一緒のチームで活躍していたという彼ですが
その両親はいったいどんな方なのでしょうか。
坂本勇人の父
坂本勇人の父親はアメリカに牧場を持っていてファミレスなどに食肉を卸す仕事をされていたようです。
その仕事の関係で日本にいないことが多くありました。
そのせいもあって母親が父親の役目も努めていたようです。
坂本勇人の母はプロ1年目の時に亡くなっていた
坂本勇人の母親はプロ1年目の時、病気で亡くなっています。
ドラフト会議の数週間前に余命数ヶ月と診断されたようです。
しかし父親は息子がドラフト指名される可能性があるので、心配させないように母親には言わなかったそうです。
そして入団1年目に母親が観戦に訪れた試合で2軍戦ながらも見事に特大ホームランを打ちました。
母親はさぞや嬉しかったことでしょう。
もっともっと息子のこれからの活躍を見たかったと思います。
しかし、その思いも届かずこの試合の1ヶ月後他界しました。
そんな母親は関西人で明るくかなり天然だったと言われています。
坂本勇人が左投げから右投げに変えた理由
坂本勇人が5歳の頃、兄がグラブを新調した時、
兄のお古を母は彼に与えましたが兄は右利きで坂本勇人は左利きでした。
坂本勇人は兄のお下がりをもらえたことが嬉しくて仕方がなく左利きなのを忘れていました。
それが原因で左投げから右投げに転向したのです。
右打ちになったことでその後田中将大と出会い、右打者のライバルとして競い合うようになりました。
母親が勘違いをして兄のものを弟へと渡さなければ今の坂本勇人はなかったことでしょう。
また母親はリトルリーグに通う息子達のために12~13人入れるワンボックスカーで子供達の送迎をしていました。
高価な車内には新聞紙もひかず泥だらけの子供たちでいっぱいだったそうです。
車内が汚れようともかまわず、母親は喜んで子供たちを送迎していました。
その様子を当時のリトルリーグの監督はとても鮮明に覚えてるそうです。
その車も2~3年でダメになり買い換えることになっても笑っていた母親の様子を今でもはっきりと覚えていると振り返っています。
坂本勇人はそんな大らかな母親に育てられたのです。
そして現在、彼は社会貢献活動を積極的に行っています。
今の坂本勇人があるのは母親あってのものなのですね。