「フライングゲット」のモノマネで一躍全国区となったキンタロー。
そのキンタローについて調べてみたところ、
芸能界に入るまでの壮絶な過去が明らかになりました。
キンタローは不自由ない家庭で育った6人家族
キンタローは愛知県で生まれました。
家族は父親、母親、キンタロー、5歳年下の妹の4人です。
小さい時からテレビっこ。
特にお笑いが好きで、当時からモノマネを母親に披露したりしていたそうです。
自宅は、ある駅前の繁華街にある雑居ビルの部屋で、何不自由なく生活していました。
ちなみに、父親は警備員の仕事をしており、母親は専業主婦をしていました。
社交ダンスの活躍を喜んでいた母親
関西の大学で社交ダンスを始めたキンタローは全国大会で4位の成績を残すまで上達し、活躍しました。
そして、その活躍を自分のことのように喜んでいたのが母親でした。
社交ダンスをするには衣装代が発生します。
ですが、家からの仕送りは月に20万円も送られていていました。
いくら不自由のない家庭だったといっても
4人姉妹の家庭で毎月20万円の仕送りというのはかなり厳しかったはずです。
それでも社交ダンスで活躍する姿を見て応援したくなっていたのでしょう。
突然の母親の死
キンタローは大学卒業後、社交ダンスの講師になりました。
その際には順調な生活を送っていたのです。
一方、実家はというと不景気のあおりを受けました。
雑居ビルにテナントが入らなくなり、経営は悪化し、借金を抱える程までになってしまったようです。
次第に母親はふさぎ込むことが多くなり、周囲に「死にたい」とつぶやくようになっていきました。
そして2007年2月、ビルの屋上から飛び降り自殺をしてしまいます。
このことに父親はショックを受け、病気を患ってしまいました。
現在は名古屋市内の特別養護老人ホームで暮らしています。
母親の死がキンタローを芸人に導いた
母親の訃報を聞いたキンタローは、すぐに実家に戻りました。
自殺してしまった母親、病気になってしまった父親、悲しむ妹の姿。
家族の姿を見て、キンタローは天国にいるお母さんのために努力して笑わせたいと思ったそうです。
そして、芸人を目指し2008年に実家を離れ、芸能スクールに通い出したそうです。
今やAKBの公認も受け、モノマネタレントとして活躍するキンタロー。
人々を笑顔にしている彼女の力の源は、家族への強い想いなのかもしれません。