AKB48を卒業することを2013年末の紅白歌合戦にて発表した大島優子。
アイドルとして頂点を極めた彼女の父親や母親はどんな方なのでしょうか。
アメリカ人のクォーターだった大島優子
調べてみると、大島優子の生い立ちや家庭環境が複雑です。
実は大島優子の母親はアメリカ人とのハーフでした。
そして父親は日本人ですので大島優子はクォーターということになります。
大島優子本人の顔は純日本人のように見えるのでクォーターにはあまり見えません。
ただ元気な性格などはアメリカ人の血が入っている影響なのかもしれません。
母親の謎の失踪
小学校卒業後、家族で地元の栃木県に引っ越しをしました。
理由は病弱な伯父(父の兄)が営む割烹料理店を手伝うためでした。
母親は見知らぬ土地に突然来て、誰にも言えない辛いこともあったことと思います。
その母親が男の人と蒸発したと噂になりましたが、真相は分かりません。
しかし、家族の前から姿を消したことは事実のようです。
そんな母親のことを大島優子本人は責めておらず
むしろ母親の心情を理解している発言をしています。
大島優子と父親との関係
大島優子の父親は娘に対して、並々ならぬ愛情を注いでいることで有名です。
普通のサラリーマンだったのですが、病弱な兄が営む割烹料理店を手伝うために栃木に引っ越した。
そこでは、東京にAKBのレッスンに通う娘のために大好きなお酒を断って駅まで毎日送り迎えしたのです。
また料理に不慣れなのに娘のために毎朝弁当を作りました。
そして、夕食も作っては店の2階にいる娘に届けたそうです。
そんな愛情を注いでくれる父親を見て大島優子も辛いとは一言も発しなかったといいます。
大島優子本人も父親には感謝しており、今も時々居酒屋やバーに父親と飲みに行ったりしており
そんな仲睦まじい父娘の様子が写真週刊誌に撮られています。
そして大島優子はこんな言葉で父に対する感謝の言葉を述べています。
「父あっての私、ということを知って欲しいです。とても尊敬しています」
今時の若い女性からはなかなか発せられない言葉ではないでしょうか。
他人が決して入ることができない同じ苦しみを分かち合ってきた親子だからこその発言ですね。
AKB48を卒業し、新たなステージへと立つ大島優子。
そんな彼女を応援したくなるエピソードでした。