ローラと国際指名手配の父親との間にある深い絆

自由奔放な発言や態度から人気が出たローラ。
父親が国際指名手配されるなど、家庭の問題もちらほらと噂が流れていますが
実際にはどんな家庭で育ったのでしょうか。

ローラは経済的に苦しい大家族で育った

ローラは日本で1990年に生まれました。
バングラデシュ人の父ジュリップ・エイエスエイ・アルさんと、日本人とロシア人のクォーターである母親との間の子です。

そこから生まれてからわずか1歳でバングラデシュに渡り、現地のアメリカンスクールに通っています。
この頃は、比較的裕福な家庭環境だったそうです。

ローラが小学1年生の時に日本に帰国しましたが、またしばらくしてバングラデシュに戻るなど
日本とバングラデシュを往復する生活が続いたようです。

その頃父親の事業が上手くいかなくなり、母親との関係も崩れてしまいました。
両親は離婚し、母親が家を出ていってしまいます。

離婚した後に父親は中国人の女性と再婚し、双子の弟妹が生まれています。

そのためかなりの大家族となっておりローラが9歳の時には、父親、ローラの双子の兄リョウ、継母、継母の両親、義理の双子の弟妹の合計8人になっています。
そして、東京都国立市の木造アパートの1室を借りて暮らすという苦しい家庭環境に変わってしまったようです。

ローラと父親との絆

その後、知人のアドバイスで継母の両親以外の6人で、多摩市の3DKの都営団地に引っ越しました。

両親が共働きだったために、幼い双子の弟妹の面倒はローラが見ていました。
中学生のローラは献身的に幼い双子の世話をしていたと、当時を知る人たちが語っています。

しかし、継母は我が子ばかりを可愛がり、ローラはあまり相手にしてもらえなかったようです。
その為、ローラが反抗期になると継母と度々衝突することがあったと語っています。

そんな衝突の日々でしたが、父親はローラをかばってくれたそうです。
この体験から、ローラと父親の間に深い絆が生まれたようです。

父親は事業の失敗を繰り返した末に詐欺容疑で国際手配されることに

一家の経済的な苦境には、父の度重なる事業の失敗があったようです。

父親のジュリップさんは日本ではインドカレー屋を経営していました。
しかし、最初は好調だったお店も徐々に経営は悪化していき、
しまいには店舗の家賃も払えなくなり閉店しました。

ローラが小さい頃からバングラデシュと日本を行き来していたというのも
父親の商売についていったというもののようで
苦しい事業の末に詐欺行為をしてしまい国際指名手配を受けてしまったということのようです。

ローラは高校生になると、家計を支えるためにホームセンターでアルバイトをしていました。
そして、渋谷でスカウトされてモデルデビューしましたが、
モデルを始めるときに「お父さんを幸せにしてあげたいから!」と言っていました。

父親の存在はローラにとって、かけがえのないものだとテレビで語っていた姿の裏には、壮絶な家庭環境があったようです。

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